福利厚生制度の歴史
福利厚生とは、企業が従業員と従業員の家族に対して提供する、給与以外の制度や施策を指します。労働に対するモチベーションの向上や、勤務効率が上がることを期待して設けられています。ここでは、明治期から現在までの福利厚生制度について紹介します。
明治から戦中
明治時代から大正、昭和にかけては日本の国力を高めるために、多くの人が工場などに勤めていました。毎日の通勤と過酷な業務内容に逃げ出す人も多く、労働力の確保が課題となっていました。
そこで「経営者が従業員の生活そのものに責任をもち、面倒をみる」という目的で、衣食住の提供から慶弔金や見舞金の支払いまで、企業ごとにさまざまな福利厚生の施策がとられます。
戦時中は軍需産業が活発化し、労働災害への対応も福利厚生の一環として行われるようになります。第一次世界大戦以降は近代的な福祉政策への意識が高まっていきました。
第一次世界大戦直後、一時的な好景気とはなったものの、不景気に落ち込んだため労働運動が盛り上がり、ここから年金や有給休暇などの福利厚生が生まれます。
企業側も職業訓練や昇進制度など、従業員に少しでも長く勤務してもらえるような施策を打ち出していく必要がありました。
戦後からバブル崩壊
2度の大戦の後、日本の社会が復興に向かっていくなかで、企業は経済再興のために労働力の確保を目指しました。給与以外でも従業員にとって魅力的な施策を提供しようと考え、社宅の保有と割安な家賃の設定により、従業員の能率アップを図ったのです。
第二次世界大戦後は社会保険料や雇用保険などを法律で規定した「法定福利厚生」が登場し、従業員の生活や人生に係る保険料の一部を企業が負担する施策が登場しました。
昭和25年ごろから日本は高度経済成長期に突入し、30年後にはバブル経済へと入っていきます。企業の業績も最高潮となり、福利厚生はさらに拡充。豪華な社宅や企業独自の保養施設が提供され、従来にない「娯楽」という側面をもつ施策がとられました。
平成から令和
バブルが崩壊したあとは、ゆっくりと日本経済が低迷の状態に入っていきます。平成から令和を迎えた現在まで、従業員の定着に加えて「少子化対策」「働きやすさ」が新たな企業の課題となっています。
従業員の家庭生活や子育てがスムーズに回るように、育児休暇や在宅ワークなどが可能になる施策の提供が求められるようになり、セミナーや研修、資格取得支援など従業員自身の自己啓発支援も積極的に行われています。
かつては従業員自身の生活をサポートするために登場した福利厚生制度は、現在では従業員とその家族までを広くカバーするものとして機能しています。自社に見合う人材の育成と定着を目指し、職場環境の改善や向上も含めてさまざまな施策が打ち出され、企業の取り組みは時代に即して変化を続けています。